「鮨 棗」と「鮨 葵」。2年前のオープン以来、人づてに評判が広がり、今や予約必至の人気店に。札幌・すすきのに2つの鮨店を持つ、大坂智樹さんにお話しを伺いました。

鮨 棗

札幌・すすきのにあるビルの7階。エレベーターを降りて奥へ進み、店ののれんをくぐると、職人さんたちの威勢のいい挨拶が出迎えてくれます。その中心で店を切り盛りするのは、大将の大坂智樹さん。2010年に「鮨 棗」、続く2011年に「鮨 葵」をオープンした若き大将です。
生まれは北海道・留萌。日本海に面し、かつてニシン漁でわいた海の町が故郷です。自転車を10分走らせれば、そこは海。子供の頃から魚介をとって遊んでいたから、海は身近な存在でした。思い返せば、鮨との関わりは高校1年生のときのこと。昔から父親が連れていってくれた鮨屋で白衣姿の職人さんに会い、「かっこいい!」と憧れていた大坂さん。たまたま知り合いのつてで始めた「荒磯鮨」でのアルバイトが、鮨職人を目指すきっかけとなりました。

「学校が終わってから夕方5時から夜10時まで。夏休みともなれば、朝から晩まで働いていたものです。お茶を出したり、洗い物を手伝ったり。仕出しもしていたので、いなり寿司などを作らせてもらうこともありました。接客の楽しさ、作る喜び。親方には、お寿司の楽しさを教えてもらったと思っています。僕が高校2年生の冬に、お店を新しく拡大しました。ところが、オープンから10日目に、突然親方が亡くなられたのです。仕事が終わって自宅に帰り、そのままソファに座るようにして…。それまで、朝から晩まで休み無く働いている親方の姿を見ていましたから、”鮨屋の仕事は命がけのものなんだ”と強く感じました。そして同時に、”やりがいがある仕事だ”と、気持ちを新たにしたことを覚えています」。

高校卒業後はアルバイト先だった「荒磯鮨」で働き始めます。「この店は、50人単位の宴会などの受け入れをしていたので、まだ若い僕にも握らせてもらうことができました。桂むきも1日5本、10本とやらせてもらうことも。実技は数をこなさないと上達しないものです。まだ若いうちにこういう機会を与えてもらえたことは、とても恵まれていましたね」。
「もっと鮨の仕事が見てみたい」との思いから、21歳の時に札幌の「たる善」へ。「この店では15年間お世話になりました。もともと、”いつか独立して自分の店を持つ”という目標を持ってこの道に入りましたから、”盗めるものはすべて盗もう”という気持ちでしたね」。親方の動きは何ひとつ見逃さないように、それこそお客さまも会話のやりとりにも意識を集中。当時のノートは、今の宝になりました。穴子の煮方、コハダの締め方、シャリの配合もメモした前の店のまま。握りのサイズにさらしを丸めて輪ゴムで巻き、いつでもどこでも握りの練習。手首のかえしを体に染み込ませるため、地下鉄のなかでも手にしていたという修業時代だったといいます。「そうやって、いつチャンスをいただいてもいいように、常に出番を待つのです。先輩が風邪をひいて休んだときに『じゃ、大坂入ってくれ』って言われるかもしれない。その時にぱっとできれば、また起用してくれるかもしれないのです」。

しかし、20代前半は辞めたいと思う日々もありました。ちょうど遊びたい盛りなのに、同年代の友人に誘われても自分たちは仕事の時間…。「いよいよ明日、親方に『辞めます』って話そうと決めた夜に、お客様が『大坂くん、握ってみない?』って言ってくださって。そのお客様のおかげで、”もうちょっと頑張ってみよう”って思えたのです」。お客様の言葉によって、今の姿がある。その巡り合わせも、当時の仕事への姿勢が呼び込んだ縁だったのかもしれません。
「仕事に変化はないものです。毎日、同じ仕事の繰り返し。めまぐるしい変化があったのは、店を出したときくらいですね。鮨と向き合いながら勉強して、知識を得て、お客様に教えていただき、時にはしかっていただきながら…。”商い”とは、”飽きないで続けること”と教えられましたが、まさにそのとおりだと思います。終わったらすぐに寝て、起きて、仕入れして、仕込みして、営業。”アフターファイブ”なんて経験はないので、10年後、20年後の意識をもっていないと続けられない仕事だと思います」。月に1回と決めてお金を貯め、フランチやイタリアン、よその鮨屋へ出かけて味を知り、盛りつけから刺激を受けていたという若かりし日。「けっこう場違いだったと思いますけれどね(苦笑)」。営業時間や定休日が重なってしまうためにすすきのの店にはなかなか行けないものですが、今でも東京へ行ったら3食がお鮨。「部屋は料理の本ばかりですし、趣味の延長が仕事ってほど”鮨漬け”の毎日。まさに天職だと思っています」。ふたりの息子さんのお名前に、「寿」と「司」の文字を入れたという大坂さん。「だからもう、この仕事からは逃げられません。大げさかもしれませんが、人生そのものだと思っています」。

「たる善」の親方との出会いはかけがいのないもの。「東京の新丸ビルに出店した際は、店長の立場で札幌の店をあずからせていただきました。帳面もつけさせてもらったので、経営のノウハウが学べたのです。店全体の切り盛りを一任させていただいた2年半は、本当に勉強になりました。店を人に任せることは、なかなかできないもの。心配だったと思いますが、それだけ心の大きな方、器量の大きな方なんだと改めて思います。この期間があったからこそ、自分でも店をやってみたいと思えるようになりました」。
棗の入口に階段があるのは、椅子に座ったお客様と目線が同じになるようにするため。見下ろされてしまうと、お客様が圧迫感を感じてしまうから。自分の位置から、入口やテーブル席、小上がりの動きもすべて見えるように設計されており、常にお客様の様子に気を配ることを欠かしません。BGMが流れていないかわりに、キビキビとしたかけ声が響く店。その心地よさに訪れる人が人を呼び、今では予約必至の賑わいとなりました。「鮨 棗」をオープンして、たった1年と少しで2号店の「鮨 葵」を出店。「ありえない早さだとは思います。でも僕は、優秀なスタッフに恵まれていて。ここでは、自分だけしか鮨を握ることができません。私も15年間の修業時代、常に握りたいと思っていた経験があります。実技ばかりは数をこなさないとできないものです。握れるスタッフたちですから、あとは、実践でお客様のお力を借りる場として、葵をオープンしました。その分、金額をリーズナブルにして明け方まで営業しています。仕込みはすべて棗で行いネタも同じもの。「その日仕入れた良いネタを、”良い状態”のまま提供できるメリットもあります。質が落ちたから、焼き物にするっていう考え方は好きじゃないので」。1店目を出したときには考えもしなかった、2店目の出店。そこには、店を構えて初めて芽生えた思いがあったのです。

若いときの鮨は、がむしゃらで一直線。今の鮨は、やわらかな鮨へと変化したと振り返ります。視野が広がり、いろんな人の思いを感じられるようになったことが要因。『この人に一番いい鮨を握るんだ!』と気張った時代から、ホールや洗い場、焼き物や補佐をしてくれる方がいて、『代表で握らせてもらっている』という気持ちになったことが大きいと大坂さんはいいます。「もっと美味しく握りたいと思うし、若い人にもよその鮨屋にも負けたくない。でも経営者になってみて、後進の育成や人を育てる喜びも見えてきました。今はチームワークで、ひとりひとりのお客さまに喜んでもらおうって心がけています」。多くの業種のお客様と知り合えることが、なにより仕事の醍醐味。「さまざまな仕事を成し遂げている方が多いので、言動や所作など勉強になることばかりです。また、北海道は3つの海に囲まれているので魚も貝類も豊富。とても恵まれている環境です」。本州から年に1回いらっしゃるお客様も。遠方からのお客様が帰ってから知人に紹介し、目指して来てくださる方も多いのだとか。「北海道代表として、みなさんに故郷を伝えていきたいですね。そしていつか、北海道の食材を使って海外でやってみたい」。またひとつ、夢は大きく広がります。

20年近くこの仕事をしていても、お客様がいらっしゃる前のスタンバイの時間は緊張のひととき。帰り際も、顔色を見ながら”満足してくださったかな?””足りなかったかな?”と気になるといいます。「でも、常に不安をかかえていないとダメなんだと思います。今日よりも明日良くするぞって。だから営業が終わると、それこそ体全体の力が「ふぅーっ」とすべて抜けてしまうんです」。一貫一貫、魂を込めて握り、お客様ひとりひとりに心配り。「『おいしかったよ』だけではなく、『楽しかったよ』と言っていただける店を目指したい。今の時代、おいしい店は当たり前です。食だけではなく、すべてをひっくるめて楽しんでいただける店にできたら」。棗を知る人が店のことを語るとき、お鮨のおいしさだけでなくその心地よさを熱く語る理由はそこにあります。




鮨 棗
札幌市中央区南4条西5丁目10第4藤井ビル7階
TEL/011-231-0725
営業/17:00~翌2:00
定休/日曜



鮨 葵
札幌市中央区南6条西4丁目オーロラビル1階
TEL/011-513-3123
営業/18:00~lo翌5:00
定休/日曜

message from
佐々木 淳

棗にお邪魔するシチュエーションは、大切なお客様との接待だったり、会社やプライベートの仲間とだったり、 遅い時間にいい加減酔っぱらって一人で黄昏ながらとか、 今まで色々なシチュエーションでお世話になって来ておりますが、どの場面でも大坂氏を始めスタッフの方々の 接客の対応には、素晴らしいモノを感じます。
なんちゃって体育会系の様な悪戯に元気が良いと言うだけではなく、その場に応じた『メリハリ』と言うか『侘び寂び』を兼ね備え、更には、棗の寿司ネタの鮮度の良さにも勝るとも劣らないくらいの鮮度感抜群の対応 !それも僕を含め、常連のお客様のみならず、全てのお客様にです。

僕の中では、高感度 No.1! のお寿司さんですね!
マニュアルと言うか、上(親方)から威圧的に一方通行で強制的にやらされているのではなく、血の通った師弟関係、温もりを感じるキレの良さ優しい軍隊と言うか...!? 場合によっては、お寿司を食べたいと言うより、彼らに会いたくて、癒されたくてお邪魔してる時もある....かも!? やはり、この様なお店の空気と言うか、カラーと言うのは、大将である大坂氏、そのもの です

『大将はお店の鏡』

当然、最初から現在の様な状況ではなかったと思います。日に日に大坂氏の魂(ソウル)が、スタッフの方々に浸透し、大坂氏の向上心、リーダーシップ等が 大坂氏本人を スタッフを お店を 日々進化させているのでしょう。我々、客としても『棗』に負けない様に進化して行かなくては、ならないですね。お店が客を育て、その客がまたお店を育て... 『進化』ですね。いつまでもお店の鏡が曇らない様、進化し続けて欲しい大切なお寿司屋さんです。
『棗』との出会いに深謝!

and MEG Books

感動するお店に出逢えたとき、「大切な人と一緒に味わいたい♫」という衝動に駆られることありませんか?
棗さんは、取材班にとってまさにそんなお店。居心地がよく、清らかな幸せをたくさん頂ける場所でした。ありがとうございます。
Editor in Chief / KAZUE OKAWA

“まっすぐ”って、こんなにもカッコいいことだったんだ、と思いました。まっすぐ全力で向き合う、ネタに、お客さんに。そんなまっすぐなお寿司を頂いたとき、凄く至福なのに、同時にちゃんとしよう自分と思いました(笑)。「美味しかった」だけで終わらないお寿司。今度行ったら、大坂さんはどんなお寿司を出してくれるのだろう、楽しみです!
Photographer/MASAYO YAMAMOTO

手元の美しさ、その仕事の美しさに惚れ惚れウットリしてしまいした。 旅行者もここを訪れたら真の札幌「通」ですよね?笑
Art Diector / KEIKO AKATUKA

どんな質問もはぐらかさずに、受け止めて話してくださる姿勢に人柄がにじむ方でした。店全体に広がるすがすがしい空気は、大坂さんのキャラクターそのもの。”何ごとにも真っすぐ”でいる姿、見習わなければと思います。
Copywriter/SAORI FUSE



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